ローテンブルクの旅
さて、ハイデルベルクから電車とバスを乗り継ぎ「ロマンチック街道のハイライト」といわれるローテンブルクへ。
ドイツの鉄道は、自動改札機でチケットを購入するときに、乗り継ぎの時刻、ホームが記入された時刻表を入手できます。
つまり、時刻通りに電車が来るし、ホームも変更なし(驚くべきことです)。
ただし、ちょっと難しい乗り継ぎの便を選んでしまい・・・、なんとか夜に到着できました。。。
ローテンブルクの売りは、なんといってもこのメルヘンチックな街並みでしょう。
シーズンオフながらも大勢の観光客が訪れていました。
しかし、どうも観光客のほかは人影まばら。
街並みだけが保存されている感じです。
ローテンブルクのもう一つの顔は、ここが近世の「魔女狩り」の一大拠点であったこと。
そうした歴史は中世犯罪博物館で知ることができます。
法制史上の貴重な文献(ザクセン・シュピーゲルとか)もたっぷりあるのですが、拷問、死刑、名誉刑…、ありとあらゆる刑罰方法とその道具の博物館です(うーん・・・)。
閉鎖的で離脱の不可能なドイツの「ブルク」の生活(3回呼び止めても止まらない逃亡者は問答無用で銃殺してよい)。
その村のなかでは「変った者」を吊るしあげる道具と法規が開発されていました。
20世紀に入り、ローテンブルクはドイツの村の「典型」としてナチズムを熱狂的に支持するようになります。
ハイデルベルクの旅(2)
ハイデルベルクの旅、2日目。
ハイデルベルク大学は1386年創立。われらがカトリック・ルーヴァン大よりもさらに古い(!)大学です。
大学校舎(内部に博物館、講堂、学生牢があり、見学できます)
治外法権であった大学には自主的に(?)学生を投獄する牢屋が作られていました。
落書し放題だし、けっこう広いのです。
今日は、この伝統ある街の「哲学者の道」(Philosophenweg)へ。
ゲーテが、ヘルダーリンが、マックス・ウェーバーが(ウェーバーの居所はネッカー河のほとりにあります)思索した場所にちがいありません。
哲学者の通い路はけっこうな急斜面です。
そこには、春霞のなかではありますが、素晴らしい眺望が開けます。
この超有名大学の街、大挙して訪れる観光客に押されているのか、学生にそれほどの活気を感じませんでした。
この街にも、ルーヴァン大学の学生諸君が毎晩そうするように、酒酔いの歌声が響くのでしょうか。
ハイデルベルクの旅
そろそろ旅も終りに近づいています。
最後の旅はドイツ。ハイデルベルク、ローテンブルク、フランクフルトです。
まずはハイデルベルク。
ハイデルベルク大学であまりにも有名な大学街です。
さっそくハイデルベルク城へ上り、この街を眺望します。川はマイン河の支流、ネッカー河。
春霞と逆光のなかですが、たいへん美しい光景です。
ハイデルベルク城は廃墟のようになっています。
ネッカー河にかかる橋。街はそれほど大きくないので、すぐにめぐることができます。
もちろん、名物料理も堪能です。
旅のお供はマイヤー・フェルスター『アルト・ハイデルベルク』(岩波書店、1980年)。
アルト=ハイデルベルク
栄光あるわが麗しの町よ
ネッカーのほとり
マインのほとりに
くらべるものとてなし
心楽しき仲間の集う町
知恵にあふれ
美酒にあふる
68ページのシェッフェルの詩より。
ベルギーのビール
ベルギーといえば、ビール、チョコレート、ワッフルでしょうか
(もっといろいろと素晴らしいものもありますが…)。
たしかにこの3つはベルギーの生活になくてはならないものです。
カフェ、ブラッスリーのお客さんは、日中でも大きなカップでビールを楽しんでいます。
ビールのブランドもたくさんあって、ブランドごとに専用ビアカップがあります。↓
(地球の歩き方編集部『地球の歩き方 arucoベルギー』ダイヤモンド・ビッグ社、2011年、28-29頁より)。
ビールブランドは地域ごとにもあります。地酒のようなものでしょうか。
われらがルーヴァンはステラ・アルトワ(Stella Artoi)。
ルーヴァン市内のステラ・アルトワビール工場↓
ちなみに、ステラは世界一のビール会社です。
スーパーにはこんなの売ってます。
中身は専用ビール+ビアカップセット。これはLeffeというブランドです。
ただし、……くれぐれも飲みすぎには注意です。
ワーテルローの旅
ブリュッセルの南東約13キロ「ワーテルローの戦い」(1815)であまりに有名なワーテルロー(Waterloo)へ。
ナポレオン率いるフランス軍とウェリントン率いる英、蘭(ベルギー)、プロイセン、ロシア連合軍が激突した地です(ベルギーはオランダからの独立前)。
ライオンの丘(La Butte du Lion、1826)という人工の丘が造られています。
ここへはブリュッセル南駅からバス(Wまたは365系統。ワロン系のバス)に乗り、約1時間。途中、ワーテルローの街の中心部のウェリントン博物館にも立ち寄りました。この博物館は、ウェリントン将軍の宿泊地であり、司令本部です。意外にも日本語オーディオガイドあり。
ワーテルローの街は、ブラバン・ワロン州に属し、フランス語が主な言語になります。
ちょっとした外国です。
ライオンの丘には226段の階段が。
とりあえず、みんな登る。
そこには、大軍勢が激突し「天下分け目」の戦いとなった平原が開けています。
丘の近くには、パノラマ館、メモリアル1815というビジターセンターもあり、なかなか気合入ってます。